商品解説


NV4 特型駆逐艦

『電(イナヅマ)1944対空兵装強化時』



(写真:上が響1945 下が電1944)



 特型駆逐艦「電(イナズマ)」の対空兵装についての考証

 今回発売の電1944の対空兵装については、具体的な配置を示すものが無いというのが実情で、福井静夫氏著の「日本駆逐艦物語」においても「薄雲」「曙」「潮」「響」の4隻だけで、これ以外の特型については紹介されていない。

 他の書籍では、昭和18年以後に残存していた特型は14隻とあり、この14隻に対空兵装の強化を行うとの訓令が発せられ実施されたという。しかしこの訓令に対し、実施できたかどうかは分からないと、同書の中で述べられている。訓令では25ミリ機銃3連装が指示されていても、当時の戦況にあっては1隻でも多くの艦艇を戦場に送り出すという状況下で、3連装機銃が造船工場に送られてくるのを待つ、というのんびりしたことは許されず、在庫の2連装で代用ということがあったともいわれている。

 もともと25ミリ機銃は2連装であろうが3連装であろうが、射撃するのは1門ということだったらしいので、現場としてはどっちでもいいから「飛行機を打てればいい」という感覚だったのかもしれない。

しかし、戦前戦中の日本ニュースの中での対空戦を伝える画面では、2連装、3連装を同時に射撃しているシーンもあり、どっちが正しいのか分からない。固く考えるより、双方あったと思う方がいいのかも。

 電1944についてだが、発売されてからキットを見ていただくとお分かりかと思うが、響1945時を念頭にしたもので、いわゆる同じ名のキットが同じシリーズの中にあっては紛らわしいという理由で変更したものであることをお断りしておく。ただし、1944時の電のことをおろそかにしたわけではない。

 話を戻すと、1944年残存していた電には対空戦武装強化の訓令を受けているのは確実で、13ミリ機銃をより威力の大きい25ミリ機銃へ換装することになっている。この換装については、乗組員の希望と進言があったことと合致している。

 電は、25ミリ単装2基、25ミリ2連装3基の増設になったと言われている。

ではどこに配置されたのか。

後部煙突の後ろ側にある探照灯プラットホームにあった13ミリ2連装機銃を25ミリ機銃単装に換装したと推察され、13ミリ機銃2基の台座部分に25ミリ単装が配置された。そして、25ミリ2連装3基の増設ということだが、1基は艦橋前部に機銃座を設けてそこに配置、とここまでは容易に考えられる。残り2基は、というところで訓令では機銃の増備場所として2番と3番魚雷発射管の間に機銃座を設けてここに2連装か3連装を配置する、後部2番12.7センチ主砲室を撤去しここにも2段式に機銃座を設け配置する、となっている。


電に当てはめると、25ミリ2連装は5基必要なのに2基足らないとなる。



電は1944年に修理を兼ねて、後部2番12.7センチ主砲室を撤去したという。ここで想像されるのが、2段式に機銃座を設けたとなると、ここに2連装または3連装を増備すると考えた方が自然ということで、今回の商品化においては25ミリ2連装2基を後部銃座に配置したという考えで具現化している。

日本海軍の艦艇は、その多くの資料が意図的に破壊されている関係で、詳細なことは不明な点が多い。写真資料しかあてにできない事情がある。

ここで、機銃配置の考えを述べさせていただいたが、もし資料をお持ちであるのなら、キットで再現されてはいかがであろうか。プラモデルは、こういったことに最適な表現手段だと、管理人は思う。

●響の中央部機銃座について

従来発表されているものと違うというご意見があった。この形状にした根拠は、響、潮の両艦は戦後間もない頃に、米軍側、復員局双方から写真が撮られており、その写真から割り出したものである。さらに、米軍側の空襲時の日本艦船を撮った写真の中に響か潮と思わせるものがあり、その写真では斜め上空から撮られていたため形状をより把握できた。

さらに、お恥ずかしい話だが福井静夫氏著の「日本駆逐艦物語」をやっと手に入れる機会があり、ここで説明されていた「あ」号作戦時の駆逐艦対空兵装装備に関する図で再確認した次第である。

従来発表されている機銃座の形状は、どうも秋月型や陽炎型に設置されたものを参考にされていたようだ。

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