艦船模型製作記―“重巡摩耶編”―

模型制作第2弾 第4戦隊日本海軍重巡洋艦「摩耶」


艦艇史

重巡洋艦 摩耶

重巡洋艦「摩耶」は昭和2年度の最新補充計画に基づいて建造された「高雄」型巡洋艦の第4番艦として、三菱長崎造船所において昭和3年3月26日に起工され昭和6年4月 5日に進水、昭和7年6月30日に竣工した。「高雄」型巡洋艦は、改「妙高」型巡洋艦として藤本喜久雄造船少将によって設計された。
「高雄」型巡洋艦と前級の「妙高」型 巡洋艦の違いはワシントン軍縮条約で規定されている8インチ砲を最初から装備したことである。妙高型は、20センチ砲を装備する巡洋艦であったが、正8インチ砲は20.3センチとわ ずか3ミリの差でありながら、砲弾重量は20センチ砲が110キログラムに対し20.3センチ砲弾は125キログラムと15キログラムほど重く、その分鋼鈑貫徹力は 向上し、攻撃力は増大した。主砲の破壊力に対応して、船体の弾薬庫付近の装甲板厚は12.7センチに達し同時期に建造された各国巡洋艦中最も厚い装甲であったという。
軍令部は「高雄」型に旗艦設備を求めたが、これは当時米艦隊との戦闘において侵攻してくる敵主力艦艦隊並びに警戒部隊に対して、水雷戦隊並びに巡洋艦部隊を指揮してこれを 夜戦で撃破しつつ、夜明け後の決戦においても策敵前衛部隊として水雷戦隊を率いて主力艦部隊の支援を行うために、指揮統制能力を付与するためであった。この結果、艦橋は これらの能力を発揮するための諸設備の設置の必要性から、城郭を思わせる巨大なものになった。 さらに「鳥海」は民間の三菱造船所で建造されたため、艦内の造り並びに調度品は客船並の軍艦らしくないものであったといわれ ている。この旗艦設備によるものか、戦争前半の「鳥海」は同型艦の「高雄」「愛宕」「摩耶」と組むことなく単艦で旗艦任務に就くことが多く、開戦時は南遣艦隊旗艦、 ミッドウェー海戦後には第8艦隊旗艦としてラバウルに進出している。
太平洋戦争において「鳥海」はベンガル湾北部機動作戦において商船1隻、タンカー2隻を撃沈し、 第1次ソロモン海戦においては、共同撃沈ながらアメリカ海軍重巡洋艦3隻、オーストラリア海軍重巡洋艦1隻を撃沈する戦果をあげた。その後、ガダルカナルの戦いについては、 ガダルカナル島の ヘンダーソン飛行場砲撃などに関わっていく。


使用キット

大戦前半の姿を再現するため、シリーズ339の製品名「摩耶」ではなく「鳥海」のキットを使用します。
       
製品紹介
シリーズウォーターラインNO.340
製品名重巡洋艦 鳥海 1942 第1次ソロモン海戦
メーカー名アオシマ文化教材社
制作難易度★★★
イメージ再現度★★★★★★


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