駿河船渠へようこそ!

管理人の部屋にまで、お越し頂きありがとうございます!

★サイトの名前の由来★
ズバリ静岡の地名に由来しています。
管理人は遙か昭和の時代に、浪速の国からここ駿河の国にやってまいりました。
ホームシックになることもなく「浪速のことは夢のまた 夢」と思うほど、この地の人々の
優しさに触れ「帰らない浦島太郎」となってしまいました。
玉手箱なしで白髪混じりになるまで居座った、愛着のあるこの地の名をつけた次第です。


★管理人静岡に来る★
さてさて、ではなぜ浪速の国から駿河の国に来たのか
「ここにプラモデルメーカーがあるからだ!」
でした。
管理人は 2009年10月まで静岡の某メーカーにおりまして、主に艦船やキャラクターの
商品化に携わっていました。
管理人がプラモデルメーカー に入社するきっかけは、世の中オイルショックの不況が
長引く時代にあって、大学を卒業しても求人が少なく自分で探して来いという時代でした。

そんなある日、大学の求人票の中に玩具メーカーの求人があることに気がつき
玩具業界で求人があるならプラモデル業界でも求人し ているに違いないと思い
そこで幾つかアタックしたところ某メーカーに拾ってもらったわけです.



管理人の略歴

戦艦大和が東シナ海で沈んでから7年後の大阪市に生まれました。
艦船模型との関わりは4歳頃に、模型教材店に飾ってあった重巡「那智?」 の木製完成品を
嫌がる店主に無理やり売ってもらったことがスタート。
プラモデルとの関わりは幼稚園の時、玩具店の店頭にあった袋入りの飛行機キット を買って
もらったのがきっかけでした。
母親が、玩具で遊ぶより模型を作る方がずっと良いとの考えをもっており、プラモデル作りに
拍車が かかりました。
小学校から中学校にかけてはプラモデル三昧でしたが、作るものは飛行機か艦船ばっかりでした。
中学校から高校生にかけて は従弟から「熱帯魚飼育」の面白さを教わり怪物みたいな魚を
飼育したり、女の子への関心とプラモデル離れ時代に入りました。
大学に入って からも高校時代とそう変わらなかったのですが、ここにウォーターラインシリーズが
登場しプラモデル作りが再燃しました。
ところで、管理人は日本海軍も好きなのですが、英国海軍の艦艇ファンでもあるのです。
英国海軍が好きになったのは、マルタ島に入港する巡洋戦艦フッドの姿 を写真で見て以来フッドが
好きになり、それが英国海軍の艦船全体への興味につながっていきました。
いよいよ大学を卒業したのですが、就職難であったことは先にも述べた通り。
プラモデルメーカーに就職した時は、ほぼウォーターラインシリーズの開発は終わっていたのですが
フジミが突然組合から脱退しその担当艦を振 り分けるという、管理人にとっては願ってもない事態が
現れたのです。
当時の状況は今でこそ艦船模型が持て囃されていますが、とても艦船模型の 企画など出せない
雰囲気でした。
この雰囲気を何とか変えたいとの思いで、振り分けられた担当艦の出来をそれまでとは一線を
画すほどの内容にし ようと全力を傾けたものです。結果は、好評でありその後リニューアル化を
ほぼ立て続けに行ったものです。

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